雑記 2021.3.30(火)そろりそろりと次年度の足音が聞こえるよ

 明日で今年度も終わりだなぁとか思わされるくらいには、年度末的な仕事をしている。それと同時に次年度の足音が少しずつ聞こえてきて、また楽しい時期が始まるなぁなんて思いながら、今これを書いている。

 急遽引き受けた仕事も、早いもので3シーズン目。と言ってもまだまだ3シーズンなんだけど、回数を重ねるごとにやりたい事や楽しみが増えていて、いつの間にかライフワークに食い込む勢いになっている。

 1シーズン目は講義でしか関わっていないところでの約3ヶ月のお付き合いだったので、顔と名前が全然一致しないまま終わった。特に僕は顔と名前が極端に覚えられないし、しかもすぐ忘れてしまう。だから今ご挨拶されても半分の顔するかもしれないけど、悪気はないんです。

 2シーズン目になる今年度は1年前から姿を見ていたので、全員にきちんと声を掛けて名前を覚えることができた。適切な言い方ではないかも知れないけれど、単純接触効果みたいに親近感も高まって心底応援した一年だった。


 自分で言うのもなんだが、僕は物腰が話やらかくだいたいニコニコしている方だ。最近はそれに加えて怒ったり声を荒げることがまずないから、優しく見られるらしい。ただ、家族に言わせると「優しいと思われているなんて……信じ…られぬ。」と言われるくらい元々冷ややかなだったりする。

 いや、暖かいし慈愛に満ち溢れている(自分で言うけど)んだけど、距離感がヒヤッとしているんだと思う。愛着も湧きやすい反面、手放すのにも執着がなかったりするからそうみられるのかも知れない。卒業アルバムなんてものは一つも手元に残っていないし、数年前の同級生の名前すら覚えているか怪しい。お礼状とかも読んで嬉しくなって、そのままありがとうと言いながらシュレッダーにかける。そんな感じだった。



 それがここ数年、犬の匂いを定期的に補充しないと生きていけない身体になったり、親戚のおばちゃんみたいに突然オヤツをポケットに捻じ込んでみたり、少しずつ人を想う気持ちが強くなっている気がしている。これは仕事の成熟度にも繋がっていると勝手に感じていて、自分としてはとても良いことだと思っている。優しいだけではいけないと言われることもあるけれど、そんなことはわかった上でずっと優しくしていた。そうそう、母親にも凄く心から優しくできてるの、本当に偉いよね、自分。


 そんなことで3シーズン目が始まるんだけど、今度は3年間関わっている方達なのでひとしおに愛着を感じている。オキシトシンが溢れ出て恩着せがましく応援しちゃうくらいのレベルで、自分でも距離感を意識して関わるようにしているくらいである。年々穏やかさが増し増しなのも相まって、関わっていても微塵もイライラしないし、常に穏やかに仏になったかのような穏やかさで関われている。そりゃそうだよね。もし二十歳くらいで子どもを授かっていたら、彼彼女らくらいの子どもがいてもおかしくないのだよ。それゃもう全力で鬱陶しいくらい応援したくなっちゃうでしょ。しょうがないよね。

  

 まぁ人生に一人くらい何だかいっつもニヤニヤ応援してくるおじさんがいたっていいと思うんですよ。と自分に言い聞かせて次年度もやって行きます。よろしくお願いします。



BGM:chelmico「milk」

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