雑記 2021.3.9(火)エヴァとおしまい
今週は映画を観るには少々予定がきつい。でもエヴァンゲリオンは早く観たい。すぐにでも観たい。という思いが遂に爆ぜて、いつの間にかチケットを予約していた。新劇場版:序から数えて14年経つらしい。14年前というと、前の職場に入ったのくらいの時だ。序を劇場で観た時の、始まった瞬間の、あの昂揚を今でも思い出すことができる。仰望と、終わりに向かう寂しさ。今回は本当の終わりなんだな。生きている間に終わりを観られる嬉しさと、もうこれでおしまいという、寂しさ。
最近、ケアマネさんとお話しする機会が増えてきた。関連職ではあるけれど、違う職業の方に触れ合うのは楽しい。それぞれの領分をわかっているつもりであるけれど、いざ話すと、やはり当事者でしか語れない話がある。
ある方と「ケアマネの仕事をどう捉えているか?」という話になった。そこで返ってきたのは「極論をいうと、死をどう(どこで)迎えるかという仕事かもしれない」という答えだった。意外だった。僕にとっては、なかなかに意外な答えだった。というのも、僕の感覚では介護福祉系の仕事は「どう生きるか」に焦点を当てる職業だからだ。逆にいうと、僕は病院で避けられない死と向き合って仕事をする中で、その前にある「人生をどう生きるか」に寄り添いたくなり、今に至っている。「死をどう(どこで)迎えるか」という答えは死と直面する病院などの領域でこそ多く聞くものだと思っていた。だから僕は病院外の介護福祉職とは「どう生きるか」という視点を共有し話が進むと勝手に考えていた。
そこの話を深掘りする前に解散の時間となり、その日は少し不消化な思いで帰宅をした。今になって考えると、もしかしたら死を迎える場所から遠い(この地域では在宅死の準備が整っていない)領域の彼彼女らだからこそ、自分たちの裁量が及び難い「死をどう(どこで)」に重きを置くのかも知れない。いつか手を離れるまで、そこをゴールに整えていこう。という視点ではないだろうか。今度その方達に出会う時に、もう少し聞いてみよう。他のケアマネさんに出会った時には、同じ質問を投げ掛けてみよう。というと、僕は看護師と僕が同じ意見と考えている素振りがあるが、どうなんだろうか。急性期、慢性期、在宅、予防医療、それぞれに違いそうだが、機会があったら聞いてみよう。
答えは一つじゃなくていいけれど、人が生きて死ぬまでのどこに視点を置くかで、何か違いが出る気がする。エヴァの最後を見届けられる喜びと、終わってしまう寂しさ。僕はどちららに偏りながら観るんだろうか。
BGM:宇多田ヒカル「One Last Kiss」
0コメント