雑記 2021.2.10(水)花束みてーの

 ぐっすり寝たら朝から調子が良かったので、仕事終わりに『花束みたいな恋をした』を観てきました。そして、ジャックパーセルで踏みつけられて命からがらなんとか帰宅致しました。ふぅ、あの映画は一部の人にとってはクリティカルなので気を付けて下さい。


 初めはデートムービーだと思い込んでいたので興味がなかったのに、SNSで同年代と思われる方々が鑑賞後に物言わぬ姿なっているのを見かけて、急に興味が湧いたのが悪いんです。ここまでの惨事になるとは知らずに観に行ってしましました。

 僕の他には男女組が二組、女女組が一組、男性一人がフィジカルディスタンスに配慮する中、映画が始まりました。



前半からもう痛てーのなんのって

 もう、初っ端からガツンと辛かったです。主人公二人のナレーションというか自語りが、既に辛かった。どう辛かったかというと、ヴィレッジヴァンガードが好きな自分=サブカル民な自分だと勘違いしていた己の過去が炙り出されて、容赦無くグサグサと刺さってきたんです。抉られたのグリグリっと、痛かったよ。そして更に、そんな勘違いを“過去”なんて言ってるけど、実際は未だに自意識の肥大というか、誰に需要があるんだかよく分からない雑記を書いている自分が見えてきて、そこにまた刺さって辛かった。人って変わんねーのよ、簡単に。って感じで、前半はブーメランブーメランで本当に血だらけになりました。

 一見「偶然が積み重なって運命と感じとる二人」みたいな出会いだけど、実際はそうじゃないんですよね。あれは「サブカル民として周りとちょっと違う視点の私(俺)と似た感性の人が現れた。しかもめちゃくちゃ重なってるこれは運命!」ではなく、「サブカル好きの間で主流だからみんな似ていて高確率で重なる状態」なんですよ。例えるなら、矢沢永吉さんの赤いタオルを持っている人って僕の周りにはいないけど、矢沢永吉さんのファンの多くが持ってるから、家に行ったら同じものがあるみたいな感じ。みたいなの。伝わるだろうか。

 そんな感じで、展開自体が過去の自分に(そして今の自分に)ザックザク刺さってきました。特にジャックパーセル。あれは秀逸。これでもかって踏みつけられました。


ゼルダなのよ。僕的にはゼルダの時なのよ。

 途中から痛さの質がちょっと変わってきて、過去の思い出とのエモい痛さになってくるんですよね。で、この前どうすれば二人は違う世界線を歩んだ可能性があるか。という感想をいうと、僕はゼルダのところが分岐点だと思ってみていました。あそこでゼルダを【①プレイするか or ②プレイしない】の選択肢があって、あれがアザーエンディングの分岐点じゃないですか?って観ました。更にあの【②しない】を選択した後に、まだなんとか修正できる分岐点がありましたよね。【①ゼルダのプレイ音を聞きながら仕事をする or ②イヤフォンをして仕事をする】です。あれが実は復帰点だったんだんです。あっ、あくまで僕の中の話です。あそこでね〜、ゼルダじゃなく仕事を選んだとしていても回避できたと思うんです。「仕事をしなきゃ行けないけど、ゲーム音を聞いて楽しむからプレイを続けて」と麦くんが言っていたら、二人の大切なものをなんとか共有するという選択でルートが戻せた可能性があったんですよね。歩む道はちょっとずれたけれど、大切なものを共有できる二人。というエンディングルートがあそこにあったはずなんです。


 あとはですね。ベランダですよね。ベランダに出なくなったのが象徴でしたよね。それと、オダギリジョーはめちゃくちゃにアイコンでしたね。あ、あと麦は食=生活基盤を選び。絹は使うもの・纏うものを大切にした。ってことだと勝手に解釈していました。ふぅ、とりあえず言いたいことは言えた気がする。


いろんな見え方があるんだろうけど

 切ないラブストーリーとしてみてもいいと思います。合わない人も結構いそうな映画だと思います。ただ、僕は血だらけになりながらも満喫できた映画でした。思っていたよりも凄く楽しめました。僕にとってはキツイ側の『モテキ』でした。あぁもっとこれ、話せる。


 あともう一個凄く気になったのは、左端にいた紫のバーカーにホワイトデニムを履いた男性と、黒のパーカーにアディダスのジャージを履いていた女性の二人組。あの二人はあの後どんな感想を分かち合ったんだろう。凄く気になる。


BGM:大友良英「花束みたいな恋をした」オリジナルサウンドトラック

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