雑記 2021.1.31(日)キーマカレーと七回忌

 今日は父の七回忌をした。キーマカレーを作っていたら父親が亡くなった日。正確に言えば明日が命日なのだけれど、日曜の方が集まりやすいからときょう七回忌を行った。ここ数日、母親が七回忌だからと儀式的な細かな事を気にしていたけど、一日ズレるのは別にいいんだなぁと心の中で密かに思っている。
 父はなんだかんだと一年間の闘病を終えて最終的には入院し、最後は有難いことに色々な支えがあり自宅で看取ることができた。ななんとか苦痛を和らげながら、少しでも生きる為に色々なオプションを身体にブッ刺して家に帰ってきた父。家が大好きだった父。
 
 身体にあれこれブッ刺しての最後については色々な角度からの色々な意見があるけれど、最後まで治療をして元気になれると願っていた父の想いを汲んだから、色々ブッ刺ささってたのは我が家の場合は一つの正解だと言える。というか、そう思わないと耐えられない。死を挟んでもう変えられない現実に対して、拭えない後悔がそこらへんに散らばっててずっとある。未だに油断すると足の裏に刺さるから、どっかで折り合いをつけないとやってらんないの。よそ様は黙っとけって話。


 仕事がら治療を含めた舵取りを一手に引き受けたけど、自分じゃない命の行方を決めるのって本当に規格外で、「あなたの選択に任せるよ」とみんな支援してくれるんだけど、ちょっとでも油断するとそれとは全くズレたところから後頭部をトンカチで振り抜かれるくらいの暴力がやってくる。だって他人の生を決めてるっぽいけど、死を決めてるんだもん正解が全然わかんないの。選択権への周りの全幅の信頼や支えと、自分が決定するといつ事実が、一見ひと繋ぎに見えるけど実は乖離していて、本当に今までの選択とは規格外のやつでよくわかんなくなる。だいぶ荒波はさったけど、今だって無理矢理納得させて踏ん張らないとどっかに持っていかれそうになる。全員が全員ではないし一般化できないだろうけど、僕の学び。


 キーマカレーを作っている途中で呼吸が変わっておしまいになってみんなできれいにしてキーマカレーを食べた日は、キーマカレーの思い出なんだか父への記憶なんだかごっちゃごちゃと頭の中にある。ただ「お父さんは幸せだったよ」という母の一言がいつも救い。

 mourning workという喪の作業。明日はキーマカレーを作ろう。



BGM:小袋成彬「Daydreaming in Guam」

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