そうか、だから合戦なのか

ボーッとラジオを聞きながら寝正月を過ごしていたら、紅白歌合戦について「えーそうなんだ!」と思うことがありました。そんな1月2日。

紅白の最後の勝敗をつけるのってどう思います?

私はその年の最後の最後に赤白の勝敗をつけること自体に怒りを覚える!とかそんな激情的な事は微塵も思っていませんが、勝敗つける必要あるのそれ?とはずっと思っていました。誰得?って。

小さい頃、結局どっち勝ったんだっけ?みたいな会話もあった気がしますが、あれも中身のない表面をなぞるだけの会話で誰も気にしていないと思っていました。いい加減惰性やめたらーって。

例えば勝った方がもう2曲歌える!とかならまだ意味がわかる気もしますが、どう考えても意味がわからなかったんです。

そんな感じで、紅白に分かれて勝敗をつける必要性について何となく引っ掛かるところがありました。そんな時にラジオで仰っていたのは『1970〜80年代のまだまだ男女不平等の社会の中で、年一回男女が分かれて歌で合戦するということが紅白歌合戦の楽しみの一つだった』ということです。あぁ、そんな側面があったなんて。あくまで一個人の考えなのかも知れませんが、あ〜その視点はなかった!と思うと、考えが及ばなかったし面白くなりました。

歴史についてからっきしなので皆さんご存知だったり、ちゃんちゃらおかしい話をするかも知れないですけど、確かに歌“合戦”なのを意識したことが全くなかっんですよね。歌“合わせ”でも歌“大会”じゃなく合戦でがっぷり四つなのが頷けます。

男尊女卑や家父長制の名残がまだまだ強かった時代に、大晦日に公共放送で流れる男女の歌の殴り合い。のうのうと酒を呑みながら紅白を見る男性と、年越し蕎麦の準備をしながら心で歌で拳を上げる女性。お釈迦様に代わって殴るよ。

そんな情景が浮かびました。正解は知りませんけど。

だからといって今も続ける必要があるのかは分かりませんが、そういう話を聞くと見方が変わりますね。

母親にも確認してみたら、「昔はみんなで盛り上がったよー。」「男女不平等の中での戦い?そんなの知らないよ。気にしたこともない。」って言っていました。

惚れたねほの字だねホッホー。


BGM:加藤登紀子「時には昔の話を」

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