備忘録 2021.1.26(火)怠惰に橋を掛ける
午後からオンラインでの用事があったので、今日は早めに身支度をするつもりだった。けれど、犬が枕の上で寝始めたので隣で話しかけていたら、見事に二度寝をしてしまった。怠惰怠惰。どうしたら怠惰と実行がうまく共存してくれるんだろう。自分の中の怠惰と実行の橋渡しを模索中。
二度寝から覚めて、オンラインで何をお話するか考える。先週くらいから再三お風呂と寝る前に考えたから、まぁそのまま望もう。と決める。時間になり、話しながら考えて、終わってから、忘れないうちにメモをする。取っ掛かりだけを書いておく。じゃないと最近忘れてしまうから。iPhoneのメモに取っ掛かりが散らかっている。
あ、ここから頭の整理の復唱なので、僕だけ納得して凄く当たり前のことをツラツラ書いているだけかも知れません。できるだけ夢とか目標とかチャレンジとかでかい言葉で足元を掬われないように、フワフワしていない言葉で書いてみるけど、自分に酔っているように見えたらイヤだな。
怠惰と実行の橋渡しについて、考えてみた。全部、めんどくさい。寝ることと食べること以外めんどくさい。ただ、めんどくさいけれど嫌いなわけではない。仕事も楽しい、読書も、買い物も楽しい。人と会うのは、めんどくさいと楽しいの共存。めんどくさいけれど、食べて寝てばかりもいられない。経済が許してくれないし、社会が圧をかけてくる。だから、うまく怠惰に橋渡しをして、折り合いをつけなきゃと、いつも考えている。人生の命題。
◯もちろん、与えられた仕事は誠実に、質も締め切りも守っているので。その先の話。
一般的なライフハック的なことは、もうながら読みしてわかっている。家で仕事する時も朝に身嗜みを整える。時間を決める。生活空間と仕事空間を切り替える。ルーティンを作る。効率を求めない。最初からいい結果を求めない。先ずは取り掛かってみる。とかとか。もう、わかってんのよそれ。そういう問題じゃないし、それを聞いてできるならもうとっくにやってんのよ。ノマドワークスペースを活用しろ?いや、そこにいくこと自体が面倒だって言ってんの。できないから困ってんの。頭ん中の花畑で怠惰と実行が手を繋いでクルクル回ってられるには、どうしたら良いのかって聞いてんの。切実なんだよ。って話。あ、途中勢いで困ってるって言ってるけど、困ってはいないかも知れない。
◯先ずは今の分析。
マズローの欲求で考えると、生理的欲求や安全欲求は確保されている。これは強み。社会的欲求や承認欲求も、あればもちろん嬉しいが欠乏はしていない。うん、マズロー的には自己実現の欲求についてだから、矛盾はない。それと、現実的な生きていくための経済的支えについての確認は、まぁ生きるくらいは確保されている。大丈夫。この二点の分析と確認は重要事項。
◯整理してみる。
次、僕の場合の行動原理は何ですか。はい、「楽しい」かどうかです。本当?うん、今のところは妥当。めんどくさいは、楽しくないから?いや、楽しいことでもめんどくさいことはある。けれど、楽しい方が腰が上がりやすいのは確か。
未来の地図を描いてみたら?具体的に計画を書いてみたら?と言われることがある。適切なアドバイス。でも、最近判明したんですが、僕は未来のことを語るのが苦手らしい。正確にいうと、未来にドンと柱を立てて、そこから今に向かって、こっちに向かって考えて話すのがどうやら苦手っぽい。逆に今から地続きで地に足をつけて未来を語ることはできる。わかるかな、自分でも不思議。これってきっと、未来の未確定な幸せの為に、今の幸せを蔑ろにするのが見ていられないのに繋がっている。だって、人は急に死ぬし、今も未来も幸せな方が僕はいい。あっ、でも、他の人がチャレンジってやってるのはいいんです。それがその人の幸せの価値ならばいいんです。今は僕の話なので。
話が逸れてしまったけれど、やっぱり未来の地図や具体的な計画を立てるのは、苦手で向いていないから上手くできない(いや、仕事としては余裕でできる)。計画を立てることがスタートになると、それ自体がめんどうで進まなくなる可能性がある。それなら行動に対して腰を上げやす方法を考えた方が問題解決としては妥当な気がする。実際無計画なわけではなく、文章化していないだけなので。まぁ、今はそれでいい。
◯未来を考えるのが苦手。そこを一つ思考の楔にしてみる。
締め切り前の段階でめんどうを動かせるとしたら、原動力となるものは何か。うん、行動原理は「楽しいか」だから、楽しさならば自分を釣れるかも知れない。楽しいか否かに関わらずめんどうだけど、そこに新しいプログラムがある気がする。
◯普段めんどうを感じた時、何を考えてどう取り組んでいるか。焦点を当ててみる。
普段は「その作業が今まさに楽しいか否か」を考えている気がする。割と深いところの意識していないところ。めんどうでも腰を上げる時は「締め切りがあるから」か「我慢してやるか」かその両方。まぁ快不快だと不快。未来のこととか考えていないな。苦手な思考の癖が出ているのかも知れない。
それじゃあ、めんどうな時にその作業を行なった結果・未来はどうなるか意識的に考えてはどうだろう。基本、やれば結果は楽しいことしか今は選んでいないから、作業結果は行動原理の「楽しい」に結びつく。めんどうの思考が起きる時に、苦手な未来の結果を行動原理の「楽しい」に結びつけて考える。当たり前にできそうなことだけど、思考の癖で苦手なことなのできっと普段はできていない。
◯仮説:「めんどう」を「楽しい」になんとか置き換えて自分を釣れるのでは。
脳を意識的にバグさせる。あ、正常なのかも知れないけど。そして、ここまで読んでももらっても、これって僕の頭の中の話なので共感してもらうのは難しいかも知れない。ただこれは自分で地続きて考えたもので、胡散臭い「チャレンジ」「挑戦」「夢を追う」至上主義の大枚払って大口を叩くのとは違うから、自分の腑に落ち度は高い。
◯めんどうな作業だけどやったら楽しくなるんだからやるか。でやってみる。
人からみたらきっととても当たり前だけど、これでいけそうな気がする。いきなりできなくてもいいから。先ずは意識に定着させて、プログラムを書き換えてみよう。いきなりできなくてもいいからと打ってしまうあたりに、早速できなそうな香りはするけど。
◯怠惰が実行に繋がる橋を掛けてみる。
頭ん中で語っとけよって思うけど、きちんと考えましたという報告とメモ。じゃないと最近すぐ忘れちゃうから。恥ずかしいけとめんどうだから読み直しもせずpost。
BGM:ハナレグミ「Quiet Light」
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